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2008.09/03 [Wed]
私的解釈〜「闘う経済学」第四章〜
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産業発展ということが叫ばれているが、なぜそれは求められているのだろう。産業が発展することで私たちの生活がより豊かになるというのが一番に出る答えになると思うがそれだけではない。
それは、産業が強くなればまず雇用機会が増えるからである。(127頁)
著者は経済政策の目的である失業をなくすということを念頭にこのように言っている。そして、雇用を確保し、なおかつ雇用者に高い賃金を得させるためには設備投資の増大と技術進歩率を高めることが重要であると経済学の理論から論じている。
そこで政府の経済政策の現状に話が移るが、日本は法人税率が高く、産業育成にかけるお金も大きい。すなわち、企業からお金をたくさん取って、企業にお金をたくさん与えているのである。これは「大きな政府」に他ならない。
また、「大きな政府」と言えば政策金融の関与も諸外国と比べるととても大きく、肥大化してしまっていた。これは小泉内閣時に民営化したり統合したりすることが決定され、善処されたところである。まぁ、政策金融には「カウベル効果」という信用効果があったということもあり、悪いところばかりではない。
大まかに、いやかなりざっくばらんに言うとこういうことだ。著者はここでは「大きな政府」について評価を下していない。ただ、経済成長に必要な設備投資を増やす要素として税率は通常低い方がいいと言っているのが上げ潮派に通ずるところを感じさせる。どちらかというと通常でない場合のほうも知りたいのだけれども書いてない。
経済の本としてはとてもわかりやすくまとまっているし、参考になる。特に経済学の根本となる考え方が強調されていて初心者にはとても読みやすいだろう。だが、ある程度経済学を学んだ人が専門書として読むにはちょっと内容が薄いかもしれない。もちろん著者の武勇伝はためになるけどね。
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2008.09/03 [Wed]
『』
こういうむき出しの思想って好きなんだけど、またなにか禁忌に触れるような気がして苦痛でもある。
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2008.09/01 [Mon]
龍之介の溜息
ページをめくる。ざらっとした紙の触感とともに三段に組まれた文字の羅列がまた並ぶ。この厳直に整った文字群を追っている中でいくつのもことを考えた。この本の主人公のこと、著者のこと、自分の内面、今晩の食事、アルバイト、明日の予定について・・・。
そして、今これを読むことの空虚感。。。それでも今こなすべき義務であるかの如く、ただめくる。
そこには何がある?黒いシミのほかに何がある。
ちょっとした文章の練習でした。もっと推敲したい点は「シミ」ですな。紙一面にしみだらっけってのもおかしいし、シミというには濃ゆすぎるし・・・なんかいい言い回しないものか。
それはさておき、今日は芥川賞の受賞作「時が滲む朝」を立ち読みしてきた。意外と長かったために右足が多少痛む。どうやら知らず知らずのうちに利き足に重心を移していたらしい。
これってホントに純文学かぃ。というのが最初の感想だった。純文学はリアルさの中に思想の粉を振りまぶしたような高尚で近づきがたいものだという想像があったので今まで敬遠していたのだが、拍子抜けしてしまった。これなら無知な私でも普通に読めそうだ。
そんな親近感を抱きつつ読んだけれどもなんだかあまりにも問題意識がはっきりしていて、いわば現実そのものの演出に近かったためにルポルタージュのような感覚だった。特に中国の民主化運動についてや価値観、愛国心について興味があればとても面白く読めるだろう。
選者の評も一緒に載っているけれども一番はじめに石原慎太郎氏が候補作の「走ル」を一番に推しているのには度肝を抜かれる。そのほかの選者の中には今回は候補のレベルが低いと嘆く方が多数いらっしゃる。純文学はなかなか数字に現れにくいところに評価のポイントがあるものにいくらか去私の心をもって候補作を選んでいただきたいものである。
こんどは今月号の「オール讀物」に載っている直木賞作品でも読むかな。ちなみに冒頭の文章は本文とは全く関係ないのであしからず。
ついでにそのほかの候補作も。
候補作の木村紅美著「月食の日」は行方不明なので文學界五月号に載っていることを付記しておきます。
そして、今これを読むことの空虚感。。。それでも今こなすべき義務であるかの如く、ただめくる。
そこには何がある?黒いシミのほかに何がある。
ちょっとした文章の練習でした。もっと推敲したい点は「シミ」ですな。紙一面にしみだらっけってのもおかしいし、シミというには濃ゆすぎるし・・・なんかいい言い回しないものか。
それはさておき、今日は芥川賞の受賞作「時が滲む朝」を立ち読みしてきた。意外と長かったために右足が多少痛む。どうやら知らず知らずのうちに利き足に重心を移していたらしい。
これってホントに純文学かぃ。というのが最初の感想だった。純文学はリアルさの中に思想の粉を振りまぶしたような高尚で近づきがたいものだという想像があったので今まで敬遠していたのだが、拍子抜けしてしまった。これなら無知な私でも普通に読めそうだ。
そんな親近感を抱きつつ読んだけれどもなんだかあまりにも問題意識がはっきりしていて、いわば現実そのものの演出に近かったためにルポルタージュのような感覚だった。特に中国の民主化運動についてや価値観、愛国心について興味があればとても面白く読めるだろう。
選者の評も一緒に載っているけれども一番はじめに石原慎太郎氏が候補作の「走ル」を一番に推しているのには度肝を抜かれる。そのほかの選者の中には今回は候補のレベルが低いと嘆く方が多数いらっしゃる。純文学はなかなか数字に現れにくいところに評価のポイントがあるものにいくらか去私の心をもって候補作を選んでいただきたいものである。
こんどは今月号の「オール讀物」に載っている直木賞作品でも読むかな。ちなみに冒頭の文章は本文とは全く関係ないのであしからず。
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ついでにそのほかの候補作も。
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候補作の木村紅美著「月食の日」は行方不明なので文學界五月号に載っていることを付記しておきます。
2008.08/31 [Sun]
メトロポリタン、ナポリタン。。。
たまには息抜きもいいよね。
タイムスリップって現実にあると思う?
もしも人生をまたやり直せるのならもう一度戻りたい時点があるだろう?
でも、そこに連れて行ってくれるってどういうことなのだろう。誰の意志なのだろう。
慈悲深い神か、あるいは打算的な悪魔か。
結局、この本が見せてくれた世界の意味はわからなかった。主人公が手にしたのは砂のように消えゆく喪失感であり、読者が手にしたものは同情の涙と至らない結末だった。
浅田さんの文章はとてもうまい。地下鉄の駅から出たらタイムスリップしていたという発想は面白いし、時代・空間の構成もその描写もまるで目前に広がっているような気分にさせられた。そして、物語の緩急を心得ていて、つい引き込まれ、最後にはいつも瞳が潤んでくる。
とはいえ、そこには軽さも感じる。すぅーと物語に入ってそのまますぐに抜け出せるような気がする。読後感も後を引かないし、とても気楽に本を開いてゆけるのだが、それで何が残ったのだろう。
残ったのは“感動”。今のところはそれだけ。
浅田さんが作った物語なのだからこの本の中では当人が神である。神の意図を推し量ることができなかったのだけれど、それは言い換えれば著者の思想が見えないってことになる。だから、軽く思えるのかもしれない。
思想は人生を濃縮したもの。
だから、読者はそれを受け止めることに重圧を感じる。それを感じないというのは薄めてあるのか、はたまたまったく織り込まないようにしたのか。そこは残念ながら勉強不足でわからない。
ただ、一つ印象に残ったのは言葉がある。
パラドキシカルな文句だけど、もしかしたらこの言葉が一番著者の伝えたかったものかもしれない。
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タイムスリップって現実にあると思う?
もしも人生をまたやり直せるのならもう一度戻りたい時点があるだろう?
でも、そこに連れて行ってくれるってどういうことなのだろう。誰の意志なのだろう。
慈悲深い神か、あるいは打算的な悪魔か。
結局、この本が見せてくれた世界の意味はわからなかった。主人公が手にしたのは砂のように消えゆく喪失感であり、読者が手にしたものは同情の涙と至らない結末だった。
浅田さんの文章はとてもうまい。地下鉄の駅から出たらタイムスリップしていたという発想は面白いし、時代・空間の構成もその描写もまるで目前に広がっているような気分にさせられた。そして、物語の緩急を心得ていて、つい引き込まれ、最後にはいつも瞳が潤んでくる。
とはいえ、そこには軽さも感じる。すぅーと物語に入ってそのまますぐに抜け出せるような気がする。読後感も後を引かないし、とても気楽に本を開いてゆけるのだが、それで何が残ったのだろう。
残ったのは“感動”。今のところはそれだけ。
浅田さんが作った物語なのだからこの本の中では当人が神である。神の意図を推し量ることができなかったのだけれど、それは言い換えれば著者の思想が見えないってことになる。だから、軽く思えるのかもしれない。
思想は人生を濃縮したもの。
だから、読者はそれを受け止めることに重圧を感じる。それを感じないというのは薄めてあるのか、はたまたまったく織り込まないようにしたのか。そこは残念ながら勉強不足でわからない。
ただ、一つ印象に残ったのは言葉がある。
「俺がおまじないをしてやる。忘れろ、忘れろ、忘れろ―苦しみは片っぱしから忘れていかないと、人間生きちゃ行けない。全部忘れれば、希望が残る。忘れろ忘れろ」(298頁)
パラドキシカルな文句だけど、もしかしたらこの言葉が一番著者の伝えたかったものかもしれない。
2008.08/28 [Thu]
私的解釈〜「闘う経済学」第三章〜
いつの間にやら芥川賞が発表され、『文藝春秋』の九月号に載っていた。受賞者の楊逸さんは前回の芥川賞候補としてもいいところまでいった方だし、今回日本人を抑えて受賞というのは日本語の壁をもものともせぬ文才が冴えわたっているからであろう。まだ読んでないけれどもなかなか楽しみである。
さて、今回は著者が金融危機と闘った武勇伝である。しかれども、例の如く著者の武勇伝などは必要最小限に抑えて、経済的なエッセンスをまとめてみようと思う。
政府と金融の関係は日本銀行と貨幣流通の関係に言い直すことができよう。簡単にいえば、日本銀行が貨幣の流通量をコントロールすることで金融市場を安定化させる。だが、実際日本銀行がすべての貨幣流通量を操ることはできないので、どれくらい金融が日銀の支配下にあるかということが問題になる。
いわゆる「失われた十年」で問題になったのは日銀の金融支配力が減退し、金融政策の効果が思うように上がらなかったということである。そして、その原因が不良債権問題である。この部分は本書に信用乗数やマネーサプライとの関係で詳述してあるので読んだらよいが、要するに不良債権が溜まり金融危機に陥る危険性が予想されたために人々が銀行を利用しなくなり、手元に現金を置くようになったことで、日銀が金利操作等によって動かすことのできない貨幣量が増えたのである。
ここで著者が関わった「金融再生プログラム」によって信用乗数が上昇してまた同時に経済も回復したということでめでたし、めでたし。
ではなく、この章の隠れた主眼は著者に寄せられた批判や政策決定のプロセスなどの経験にあるといえる。やりすぎだといわれたり、まだ甘いといわれたり、政治家や官僚からの圧力もあったが結果が出るとその声は小さくなった。また経済の専門家よりも実務家の方が政策作りには適していたということも言っている。そういった経験談はどうしても主観的になりがちのためあえて触れたくないところなのだがどうも納得できることが多かった。是非とも一読をお願いしたい。
金融に関してはまだまだ勉強不足でご無礼。
さて、今回は著者が金融危機と闘った武勇伝である。しかれども、例の如く著者の武勇伝などは必要最小限に抑えて、経済的なエッセンスをまとめてみようと思う。
政府と金融の関係は日本銀行と貨幣流通の関係に言い直すことができよう。簡単にいえば、日本銀行が貨幣の流通量をコントロールすることで金融市場を安定化させる。だが、実際日本銀行がすべての貨幣流通量を操ることはできないので、どれくらい金融が日銀の支配下にあるかということが問題になる。
いずれにしても、中央銀行はマネーサプライをコントロールすることによって、金利に影響を与えることができる。そうだとすれば、金利は消費や投資に影響を与えるから、マクロ経済のマネジメントが可能になる。(102頁)
いわゆる「失われた十年」で問題になったのは日銀の金融支配力が減退し、金融政策の効果が思うように上がらなかったということである。そして、その原因が不良債権問題である。この部分は本書に信用乗数やマネーサプライとの関係で詳述してあるので読んだらよいが、要するに不良債権が溜まり金融危機に陥る危険性が予想されたために人々が銀行を利用しなくなり、手元に現金を置くようになったことで、日銀が金利操作等によって動かすことのできない貨幣量が増えたのである。
もう少し具体的にいえば、「不良債権問題があるから信用乗数が下がってしまい、日銀の金融政策が有効性を持ちえなくなっている」ということである。(107頁)
ここで著者が関わった「金融再生プログラム」によって信用乗数が上昇してまた同時に経済も回復したということでめでたし、めでたし。
ではなく、この章の隠れた主眼は著者に寄せられた批判や政策決定のプロセスなどの経験にあるといえる。やりすぎだといわれたり、まだ甘いといわれたり、政治家や官僚からの圧力もあったが結果が出るとその声は小さくなった。また経済の専門家よりも実務家の方が政策作りには適していたということも言っている。そういった経験談はどうしても主観的になりがちのためあえて触れたくないところなのだがどうも納得できることが多かった。是非とも一読をお願いしたい。
金融に関してはまだまだ勉強不足でご無礼。
- at 00:05
- [経済・実務・日常生活]
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